蒜山サイクリングとひるぜん焼きそば

 

ひるぜん高原の名物料理といったらみなさんは何を思い浮かべますか?

山菜料理や蒜山おこわ、さば鮨なんかも入るかもしれませんね。「復活した」ひるぜんそばなどはB級グランプリで優勝しましたからみなさんよくご存じだと思います。

この文章のタイトルは[ひるぜんヤキソバ物語]です。
ひるぜんヤキソバのルーツを知りたいとおっしゃる方が多い中、ひるぜんの1店舗が元だったような話になっていますが、その店も急にできたのではなく、それには背景・歴史があります。

ここではそのようなひるぜんヤキソバの完全ルーツをお知りになりたい方のために、話は長くなりますがそのルーツメニューである、ひるぜんのジンギスカン・ヤキソバの関係についてうんちくを述べてまいります。

それでは始めます・・・
その昔、ひるぜんヤキソバが有名になる前、観光客の間でも一番多く食べられているのは「ジンギスカン」でした。ジンギスカンというのは皆さんもご存知のとおり、独特の形をした丸い鉄なべの上に、羊の肉や野菜などを並べて焼いて食べる料理で、たいていの人は一度は食べたことがあると思います。 特にこれからの暑い季節はジンギスカンでビールなんて最高!夏空と緑の草原が広がるひるぜん高原で食べるジンギスカンは最高ですよ!

でも、なんでジンギスカンってひるぜんの名物なんでしょう? 北海道じゃないの? など考えてみるとちょっぴり不思議ですよね。


そもそもニッポンにおけるジンギスカン料理の起源は昭和の初期にさかのぼるそうです。
当時は軍隊をはじめ、警察などの防寒用の服を作るために羊毛は必需品で、羊毛を国産により自給する施策が国によって立てられました。 それにより、農家などでも羊の飼育が奨励されたのですが、国は毛の確保だけにとどまらず同時に羊肉の消費もすすめて、国民の栄養の補充にあてようとしました。「一石二鳥」ならぬ「一石二羊」をもくろんだわけですね。
ひるぜんのジンギスカン
もやしはあまり入っていません。


しかし当時の日本には羊の肉を食べる習慣がほとんどなかった上、毛を刈り取られる役目を終えた年をとった羊が食用にされたため、かなり肉も硬く、独特の匂いもきつかったことと思われます。人間だって、髪の毛を刈らなくても良いような状態の年になるとニオイがきつくなりますもんね・・・?(加齢臭)・・・ それに肉の保存方法や流通状況も今よりははるかに悪かったですし、臭くてまずい肉はますます敬遠されたことでしょう。   それでもなんとか食用にと力を入れた国は、大学機関に料理研究の依頼までして頑張りました。その結果生まれたもののひとつが「ジンギスカン」だといわれています。そして当時牛肉が非常に高かったのに比べ、羊肉はやはり安かったのは魅力でした。特に北海道では羊毛用の羊がたくさん飼育されていたので、ジンギスカンは最初北海道において普及していったということです。    またジンギスカンといえばあの独特な形をした鍋が特徴なのですが、あれも日本で考えられたものだそうです。
よくジンギスカン料理はモンゴルの兵士が、戦場で鉄カブトで羊の肉を焼いて食べたのがその起源であって、あの鍋の形は鉄カブトからきているのだなどと言われたりもしますが、それはどうやらウソのようです。なんだかその話のほうがもっともらしくておもしろいのですが残念ですね。   そんな誕生の歴史を持つジンギスカンが、ではなぜはるばる岡山県の山奥のひるぜん高原の名物になったのかというと、その起源は半世紀以上も昔にさかのぼります。そこには村おこしに燃えた人々の苦労と努力があったのです。

 

今からさかのぼること50年以上も前の昭和30年頃、戦後の復興を成し遂げた日本は高度成長期を迎えます。日々食べていくことがやっとだった戦後の荒廃から抜け出し、生活に余裕が出てきた人々の間には余暇を楽しむゆとりも生まれてきていました。

当時の池田隼人首相は「所得倍増論」を唱え国民を鼓舞。全国民が一丸となって豊かな日本を作るために前進していました。

バブル崩壊以降、実質的な長期の低迷を続けている昨今の日本と比べると、国も国民一人ひとりも元気や勢いがあり、良き昭和の時代であったという気がします。  そんな中、戦前・戦中と陸軍の演習場として使われていたひるぜん高原一帯は、その雄大な景観から今度は観光地として一躍脚光を浴びるようになってきていました。雪深い山間部に位置し、農業以外にこれといった基幹産業のなかった蒜山地方。

当時の役場も観光を将来のひるぜん発展のための柱にしようと、キャンプ場や登山道、スキー場などの整備に力を入れました。「西の軽井沢」の名前が付けられたのもこの頃です。


こうして雄大な自然をいかして施設も整備され、ハード面は充実してきたひるぜん高原ですが、観光のもうひとつの大きな要素である「食」に関しての目玉となる、これといった料理がありません。 山の中のひるぜんでは当時はお客さんに出せるような新鮮な魚は入りません。山菜など山の幸は豊富でしたが年間をとおして安定して供給することができませんし、豊かさや豪華さを求めていた当時の状況の下ではインパクトにも欠けます。また牛や豚の肉はそのころのひるぜんではまだまだ貴重品で値段も高く、大衆向けではありませんでした。

 何か良い料理はないものかとあれこれと頭を悩ませた行政関係者が目を付けたのが、羊肉を使ったジンギスカン料理でした。その頃日本中にも、ジンギスカン料理を提供している観光地はほとんどなかったのですが、ひるぜんの先人はこの料理に白羽の矢を立て、ひるぜんの新しい名物として育てていくことにしたのです。

でもどうして数ある食材・料理の中からジンギスカンが選ばれ、定着していったのでしょうか。それには観光地としてのひるぜんの発展にかけた人々の熱い思いと羊とひるぜんとの意外なつながりがあったのです。

戦後の復興を成し遂げ、余暇を楽しめるようになってきた日本。そんな中にあってひるぜんは雄大な景観を活かしての観光を地域振興の柱にしていこうと決意したのでした。

そしてその当時、蒜山高原に付けられたキャッチフレーズが「西の軽井沢」。高原のイメージがよく似合っているということで付けられたものだったのでしょうが、このフレーズにあんまりピンとこないと感じている人たちもいました。 蒜山の広大な山裾に広がる牧場とのんびり草を食べる牛たち。「この牧歌的な風景は軽井沢というよりは北海道に近い…」と考えていたこの人達は北海道ではすでに名物料理になっていたジンギスカンに着目。北海道の雄大な風景に似合うジンギスカンはひるぜんでも観光客にきっと受け入れられるに違いないと思い、その提供を試みたのがジンギスカンのひるぜんへの導入のきっかけであったとされています。

さて、こうしてひるぜんでも名物料理にしようとはじめられたジンギスカン。当初はやはり北海道と同じ料理法が試みられましたが、早速ある素材の入手において壁にぶつかることになりました。それは「もやし」です。当時の北海道のジンギスカン料理は鍋の上にもやしを主体とした野菜を敷き詰め、その上にタレに漬け込んだ薄切りのマトン(成羊の肉)を並べて焼くという方法でした。 そうすると薄い肉にちょうどいい感じで火が通るとともに、野菜にも肉の旨みが浸み込んでどちらもおいしく食べられるのです。そしてもやしは火の通りが良い上に肉の下に敷けば適当なすき間ができて肉がちょうど良い具合に焼けるジンギスカンにはもってこいの野菜だったのです。

しかし当時のひるぜんではその肝心のもやしが簡単には入手できませんでした。その頃はもやし自体も今ほどポピュラーではありませんでしたし、日持ちがしないので遠くからの輸送は鮮度が落ちてしまう上にコストもかかりました。 いろいろと頭を悩ませた関係者は考えたあげく、開き直ってもやしなどの野菜を敷かずに直接鉄板で肉を焼くことに決定。当時の羊肉は現在のラム(幼羊の肉)とは違い、肉質の硬いマトン(成羊の肉)であったため、「マトンは薄く切らなくてはダメ」という「常識」をくつがえし、厚切りのマトンの直焼きに挑戦したのです。

そのために当時の北海道で主流だった(今でも北海道ではこのタイプが多いみたいですが)タレに漬け込んだ「味付けジンギスカン」ではなく、生肉を焼き、後からタレを付けて食べる「生ジンギスカン」の手法を採用。更に肉を少し厚めに切ることにより火が通りすぎるのを防ぎ、肉の旨みと直に付けるタレの旨みで食べるという手法を定着させたのです。 元をたどれば諸事情からその必要に迫られて国策として考案されたジンギスカン料理。それがひるぜんの地にやってきて半世紀あまりが経ちました。その間、先人たちの努力と工夫を経て蒜山の名物料理となり、観光地としてのひるぜんの発展にも大いに貢献してきました。

今では多くの観光客に愛されているひるぜんで一番人気のある定番メニューです。インターネットのサイトで有名なウィキペディア百科でジンギスカンを調べると蒜山高原が全国でも有数のジンギスカン料理の提供地として紹介されています。
さて、ここまでジンギスカンの話を長々と続けてまいりました。
ひるぜんやきそば登場。
鉄板で食べるのが通です。



お待たせしました、ヤキソバの話はこれからです。

このようにジンギスカンが蒜山では一大ブームとなり、各家庭で煙がモクモクするなかジンギスカン料理を楽しんだのです。 お肉につけるタレはどこのお店にも販売していませんでしたから試行錯誤、各家庭でつくったのです。

その当時の原材料はリンゴ、はちみつ、ニンニクなどでした。
すり鉢に原材料を入れ、スリコギでペースト状になるまでこねて丁寧に作ります。


(余談ですが、今、ひるぜんヤキソバのタレとして販売されている多くは化学合成品です。本来ならタレ瓶1/4程度は材料が沈殿しているのがオリジナルになります。

当店のタレを多少辛いと言われる方がいらっしゃいますが、そのような理由ですので、まずは容器をゆすって沈殿物を撹拌してお使いください)


さて、そのようにジンギスカンのタレの味に慣れたひるぜん人のある者が[おばちゃん、ジンギスカンのタレでヤキソバを焼いてよ! あのタレはうまいしな~]というところからひるぜんヤキソバが始まりました。

第一期全盛期は1965年~1980年頃でした。お店は5つほどあり、どれも鉄板を囲んで焼いてもらいながら食べるのがスタイルでした。どこもおいしかったです。

その後、店主の高齢化もあり次第にお店が無くなって行く中、数年前からひるぜんヤキソバをもう一度世に出そうと頑張ったグループがありました。 その始まりはひるぜん農園のとなりにある悠々です。

彼らの頑張りにより、今のひるぜんやきそばブームがあります。


終わります・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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